大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和26年(オ)127号 判決 1953年9月08日

東京都江東区深川白河町二丁目六番地

上告人

大木富五郎

右訴訟代理人弁護士

松本乃武雄

千葉県山武郡片貝町屋形三四八五番地

被上告人

高柳正明

右当事者間の借地権確認、建物収去土地明渡請求事件について、東京高等裁判所が昭和二六年二月一九日言渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

論旨は「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」(昭和二五年五月四日法律一三八号)一号乃至三号のいずれにも該当せず、又同法にいわゆる「法令の解釈に関する重要な主張を含む」ものと認められない。(権利の抛棄はこれにより直接利益を受ける者に対する意思表示を以て為すべきものであること及び判決言渡期日変更の通知なくして変更された期日に判決が言渡されても、これが為め当事者の権利上に利害の影響を及ぼした場合でなければ上告の理由とならないことは大審院の判例とするところであり正当な解釈である。本件において所論言渡期日の変更により上告人が権利上不利益を蒙つた事実は認められない。その他論旨は総て重要な法律問題を含むものではない)。

よつて民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上登 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎)

昭和二六年(オ)第一二七号

上告人 大木富五郎

被上告人 高柳正明

上告代理人弁護士松本乃武雄の上告理由

第一点

原判決は「控訴人は昭和廿一年末頃被控訴人が控訴人の母大木ハマに対し借地権抛棄の意思表示をしたと云うが、仮にかゝる事実があつたとしても、当時の本件宅地の所有者であり、賃貸人である山田政枝に対し借地権抛棄の意思表示をすることなく、当時に於ては何等の関係のない第三者である大木ハマに借地権抛棄の意思表示をしたとしても、その意思表示は法律上何等の効力を生ずるものではない。」と論断したが、第一に凡そ権利を抛棄するには、その権利に対応する義務負担者に対する意思表示の到達を必要とするとの法理はない。例へば所有権を抛棄する場合に所有権に対応する義務の負担者と云う特定人はあり得ないのであるから、抛棄の意思表示は之を或る特定人にしようとしても出きない。而して対世的権利である所有権の抛棄にはかゝる意思表示は不必要であるが、債務者のある借地権の抛棄には之が必要であると云うことは出きない。等しく権利の抛棄である以上所有権であらうと賃借権であらうと、抛棄の態様に差異のある筈はない。

或る人がその所有権を抛棄して財物を遺棄し、他の者がその財物を拾得した場合、旧所有者は拾得者に対し抛棄の意思を表示しなかつた事を理由としてその物の返還を請求しうるであらうか。本件に於ては旧所有権者が被上告人に、拾得者が上告人に該当するが、両者の場合を区別することは出きない。

要するに権利の抛棄はその意思が表示されればよいので、その意思が特定の者に到達することは必要でない。

第二に仮に借地権の抛棄には賃貸人に対する意思表示が必要であるとしても、表意の時とその意思が賃貸人に到達した時との間に時間的間隔があつてはならないとは云えない。

即ち抛棄の意思表示が撤回されない限り、相手方が之を何時受領してもよい訳である。

本件に付て云えば、昭和廿一年末大木ハマ其他に対し抛棄の意思が表示され、昭和廿二年十月廿三日上告人が本件土地所有権を取得し、賃貸人たる地位を承継した時、上告人が右意思表示を受領したのである。第一審判決に於ては被上告人の大木ハマ等に対する発言は借地権の抛棄とはならないと認定されたが、昭和廿一年十月十一日頃甲第五号証の一を受領してから後の被上告人の右発言であることを考慮すれば、それは途上の雑談ではなく、抛棄の意思の表明であると考えざるを得ない。又右判決は一旦戦災地復帰を断念したからと云つて借地権を抛棄したとするのは適当でないと云つているが、それは一旦安い対価で借地権抛棄をした者がその借地権のその後の高騰を知つて口惜しがるのと五十歩百歩であつて、少しも救済する必要がない。被上告人には借地権を抛棄する必然性は多分にあつたのである。原判決は法理の解釈を誤り、上告人の右抗弁の当否に対する事実認定の機を逸したものであつて、破毀を免れない。

第二点

上告人の被上告人は借地権を抛棄する黙示の意思表示をしたと云う抗弁に対し、原判決は審理不尽の誤を冒し、取調べなければならない証拠申出を採用しなかつた違法がある。

被上告人が昭和廿一年十月十一日附の訴外山田雄之輔(当時の地主山田政枝の後見人)の書面(甲第五号証の一)を同月中旬に受取り乍ら翌昭和廿二年十二月廿日即ち本件土地が訴外見谷合名会社に売渡された日迄地代を送らないのは勿論借地継続の意思を表示しなかつたことは借地権抛棄の黙示の意思表示であるとの上告人の抗弁に対し、原判決は罹災都市借地借家臨時処理法第十二条の趣旨を挙げて之を排斥して居る。併し右法条は単に土地賃貸人に催告をなす権能を与えたに止り、之を強要するものではなく、又既に借地権を抛棄した者に対し催告をなす要はないのであるから上告人の抗弁を排斥する理由とはならない。借地権抛棄の黙示の意思表示の存否を決するには先づ第一段に借地継続の意思があつたか、又その意思が賃貸人に表示されたかを決する要がある。被上告人に左様な意思があつた事をうかゞはさせるような証拠は本件の全証拠に見当らない許りでなく却つてかゝる意思がなかつたことの証拠がある。(大木ハマ、原川重治の証言)而してかゝる意思が表示されたのは甲第六号証の一に顕はれた「昭和廿二年十二月廿日御投函」の書面唯一つである。その書面に封入された甲第六号証の二は真正に成立したものならば昭和廿一年十一月当時に被上告人に借地継続の意思があつた事の明白な証拠となり、第一審判決も之を認定の重要な根拠として居るのであるが、上告人が控訴審に於て調査発見した事実によれば、甲第六号証の二は真正に成立したものでないのである。即ち支払銀行である安田(現在富士)銀行神田支店保管の帳簿によれば、右封鎖支払票右上部に記載されている番号はNo二二八六ではなくNo二〇六六であり、その支払票は昭和廿一年十一月七日から同月十二日迄の間に被上告人自身の封鎖預金に払戻されているのである。若しこの事実が立証されゝば支払銀行に返還されなければならない封鎖支払票を被上告人が如何なる手段でか手中に収め、全く無価値な支払票を地代の大部分として山田雄之輔に提供したことゝなり、借地継続の意思が表示されなかつたに止らず、その意思がなかつた事が立証されるのである。更に進んで他の証拠、大木ハマ、原川重治の証言、被上告人の本人訊問の結果中本件土地に建築すべき建物で何を営業するか予定さえ立つて居なかつたと云う部分原審に於ける真田正の昭和廿一年から翌二十二年にかけて旧借地人と数回に亘つて借地買取の折衝が行はれたと云う証言等と相俟つて被上告人の借地権抛棄が立証されるのである。依つて上告人は原審の昭和廿六年一月十九日の口頭弁論期日に於て右銀行に右支払票に関する上告人の主張が真実なるや否やの調査の嘱託を申出でたのであるが、原審は何等首肯するに足る理由を示さず、この証拠申出を却下した。この適法に申出でられた証拠は上告人の抗弁の成否を決すべき重大且唯一のものであるに拘らず、漫然之を却下したのは審理不尽の譏りを免れない。

以上

昭和二六年(オ)第一二七号

上告人 大木富五郎

被上告人 高柳正明

上告人大木富五郎の上告理由補充

一、東京高等裁判所は口頭弁論公開の原則に従はず且つ著しく弁論を制限した違法がある。

即ち前審の昭和二十六年一月十九日午前十時の口頭弁論期日に於て弁論を終決して判決言渡を三月二日午後一時と指定告知し(記録七八丁裏)当事者は之れを了知した。

然るに上告人(当時控訴人)に何等の告知呼出手続を為すことなく不法にも前記判決言渡告知期日の前である昭和二十六年二月十九日「控訴を棄却す控訴費用は控訴人の負担とす」との判決言渡を為した。

尤も記録に依れば(八八丁表)昭和二十六年二月九日判決言渡期日を来る二月十九日午後一時と変更する旨の決定が為されたことにはなつて居り同変更決定下部に「この変更期日は本年二月九日当事者双方に葉書にて連絡した書記官補白鳥直衛」との記載があるが上告人(当時控訴代理人及控訴本人を含む)は右のような変更決定の告知にも接せず且つは変更期日に呼出しを受けたることもない。

右様の事実に依つて二月十九日の判決言渡は全く上告人の不知の間に為された違法の手続であることは勿論右の事実は上告人の弁論を不当に制限したものである、なんとなれば当時控訴人は三月二日迄重要な証拠を提出し弁論の再会を為す準備中であつたのに右期間短縮によつて之が実現を為し得なかつたのである。

裁判の経験法則上判決言渡期日の変更は告知期日から延長することが普通である右の如き短縮は明らかに上告人の弁論を制限したものとして違法であることは当然である。

而かのみならず其の変更の告知なく且つ呼出しもなきに於ては其の違法は当低許寄すべきものでないのは言はずして明らかなところである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例